シソというタイトルで書きながら、途中から「シソ・エゴマ」と一緒にしてしまっているのだが、これはその通り、シソとエゴマは区別が難しいからである。ツマモノ野菜の大葉や生薬としてまた食品の着色目的で使う赤紫蘇は典型的なシソで、タネを食用にするものは典型的なエゴマになるのだと思うが、葉が緑色のものでは連続変異的に中間型があって、シソとエゴマに異なる定義を作ることが難しい。


 赤紫蘇とは言うが、赤エゴマという言葉は聞かれないというところからも、葉の両面又は片面が赤い場合はすべてシソと認識されるようである。片面が赤い、と言っても、必ず裏側(背軸側)と両面の葉脈が赤く、カタメンジソと称したりする。では両面が緑色のものについて、シソとエゴマはどう区別されているのか考えてみると、それはどうも葉のにおいに因るようなのである。つまり、日本人がいわゆるシソのにおいとして認識する、ペリルアルデヒドとリモネンが 5 : 3 の割合で混じったにおいを持つものがシソ、それ以外のにおいのものがエゴマ、のようである。また、タネを利用する場合も、シソではなくエゴマと称される。



 シソ・エゴマは東アジアからヒマラヤ山脈の麓まで分布するらしいが、古い時代、縄文時代や弥生時代には、既にこれらの野生種があって、主にタネを利用する植物だったらしい。縄文後期のコメの遺体や籾殻の跡が出土する場所から、一緒にエゴマの野生種と予想されるタネの跡がしばしば出土するらしい。シソ属野生種にはレモンエゴマ、トラノオジソ、セトエゴマの3種が知られているが、タネのサイズなどの特徴から、遺跡のイネ籾殻跡と一緒に見つかるシソ属のタネ跡は、レモンエゴマのものだろうというのが考古学者の意見である。


 ではなぜイネ籾殻跡とシソ属タネ跡が一緒に見つかるのかというと、それはヒトが両者をいっしょに混ぜて使っていたと考えられるからである。つまり、イネとシソ属のタネを混ぜて畑に蒔いていたからである。


 アジアの古い農業は山の斜面を利用した焼畑農業が中心で、イネは陸稲であった。日本の現代農業のコメはほぼ100%が水稲なので日本人には想像が難しいのかもしれないが、陸稲は畑に籾を蒔いて育てるイネである。一定面積から出来るだけ多くのコメを得ようとすると、籾を蒔く時に上手に広げて撒く必要がある。密になり過ぎない程度に間隔を詰めて撒くためには、イネ籾だけを撒くより、ほかのタネと混ぜて撒いた方が分散が良くなることをヒトは経験的に知っていて、イネと一緒にエゴマのタネを畑に蒔いていたらしいのである。


 これは実は現代にも行われていて、筆者はラオスでエゴマの現地調査をしていた際に、エゴマのタネと陸稲のモミを混ぜて蒔く事例を取材した。その山岳民族に拠れば、イネは葉が細くて天に向かって伸びるがエゴマは葉が広くて葉を横に広げるので、互いに邪魔せずに成長できる上に、両者は播種時期は同じだが、収穫はエゴマが少し早いので、コメの収穫時にはエゴマが混じることはないので都合がいい、のだそうである。


ラオスの山岳地帯の市場で売られていたエゴマ 


 この山岳民族はエゴマのタネを胡麻のように利用しており、もち米を蒸したご飯に少し擦ったエゴマのタネと砂糖を混ぜて半ごろしのおはぎのようにしたものは、行事食や非常食として彼らの生活に欠かせないものなのだと説明してくれた。


もち米とエゴマと黒砂糖で作る行事食 


 ラオス、タイ北部、ベトナム山岳部あたりに住む山岳民族は、前述のようにエゴマのタネをずっと食用にしている。葉は使わないのか聞いてまわったが、稀に洗髪に使うというケースがあったものの、食用や薬用にしている例は無かった。また、自分で使う分は自分で栽培するという人が多く、季節が合えば現地調査の際にそのタネを少し分けてもらうことができる場合があった。もらったタネからエゴマの植物体を育ててみると、実に多様な精油型の植物が現れた。


インドシナ半島山岳部で一般的に植栽されるエゴマ 


 これは、タネを食べる人たちは、エゴマのタネの大きさと収穫量と皮(果皮)の薄さが重要な選別基準であって萼や葉のにおいはどうでもよく、精油成分についての多様な変異がそのまま受け継がれて残ってきたためと考えられた。精油成分の生合成酵素を研究する身としては、ありがたい贈り物であった。



 ゴマよりはるか前から焼畑農業をするヒトの生活に欠かせない存在だったはずのエゴマであるが、東南アジア各国政府が焼畑農業を禁止し、古来、焼畑とともに移住する生活をしていた山岳民族を定住させる政策をとるようになると、ヒトはより収量の多い水稲を作るようになり、縄文時代からの作付けスタイルがなくなり、陸稲と一緒に植えられていたエゴマは作付けされる機会を失って、どんどん減っていっているようである。近代化によって習慣が変化し、作物までが変化して、この地域ではエゴマは消えゆく作物のひとつであるのかもしれない、と少々寂しく思った次第である。


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伊藤美千穂(いとうみちほ)  1969年大阪生まれ。京都大学大学院薬学研究科准教授。専門は生薬学・薬用植物学。18歳で京都大学に入学して以来、1年弱の米国留学期間を除けばずっと京都大学にいるが、研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれており、途上国から先進国まで海外経験は豊富。大学での教育・研究の傍ら厚生労働省、内閣府やPMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHOやISOの国際会議出席なども多い。