安倍首相の評伝執筆者で元TBS記者の山口敬之氏から準強姦の被害を受けたとするジャーナリスト・伊藤詩織さんの民事裁判で、東京地裁は18日、彼女の主張通り山口氏の不法行為を認定し、330万円の賠償支払いを命じる判決を下した。週刊新潮の一昨年のスクープに始まり、世界的な注目を集めるに至った事件だが、国内では安倍政権にまつわるセンシティブなケースとして、多くのメディアが腫れ物に触るような取り上げ方しかせずにいた。それが一審判決でようやく公的な“お墨付き”を得て、今回は相応のニュースとして各メディアが報道した。


 それでもまだ、現時点の取り上げられ方には“及び腰”な面が目立つ。被害女性がなかなか声を挙げられない現状を打破するため、伊藤さんは「実名・顔出し」で果敢に戦い続けてきた。メディアはまだ、その部分に言及するだけで、本当のニュースの核心部、事件後に地元署が山口氏の逮捕状を取り、まさにその身柄を抑えようとしたその当日、警視庁刑事部長という上層部の“ツルの一声”で、逮捕が見送られた。この奇怪な経緯に関しては、一部メディアが申し訳程度にしか触れていないのだ。


 国内メディアのためらいは、判決の直後、高裁への控訴を言明した山口氏の国内向け会見と、翌日に外国特派員協会で行われた会見を比較してみても、一目瞭然だ。外国人記者たちは歯に衣着せず、「逮捕状取り消しで菅さん(官房長官)の力を借りたんですか」などと山口氏に切り込んで見せたのだ。


 現場の捜査員たちに突然伝わった逮捕中止命令。新潮の取材に当時の中村格・警視庁刑事部長(現在はさらに出世して警察庁官房長)は、自身の命令だったことをはっきり認めている。専門家が一様に「異例」と言明するこの措置がいったいなぜ、とられたのか。命令は正当なものだったか。ここにこそ、この事件の最大のポイントがある。


 新潮編集部はもうひとつ、疑惑の傍証をつかんでいる。編集部が取材の申し込みをした直後、山口氏は対応を相談しようとして、あろうことか新潮記者に間違って“身内”へのメールを送ってしまったのだ。本来のあて先は「北村さま」。この名前で真っ先に浮かぶのは、警察官僚出身で官邸の“汚れ仕事”を担っていた当時の内閣情報官・北村滋氏だ(山口氏は「別人」と否定)。ここまで情報がありながら、国内メディアは官邸を恐れてか、〝本丸〟追及に二の足を踏んでいる。


 今週の週刊新潮は締め切りが判決の前日で、「伊藤さん勝訴」を見極めての記事ではなかったが、疑惑追及の先陣を切ってきた同誌らしく、『被告の援軍は「安倍官邸」「次期警察庁長官」 「伊藤詩織さん」レイプ裁判に判決! 闇に葬られた「ドアマンの供述調書」』というタイトルで、改めて事件の構図を深くえぐり出している。この記事の眼目は、山口氏が嫌がって泣き叫ぶ伊藤さんをタクシーから引きずり下ろしたうえ、ホテルの自室へと連れ去る一部始終を目撃したホテルマンの新証言。一審には間に合わなかったが、控訴審では新たな証拠として生かされることだろう。


 それにしても、わかりにくいのは新潮のスタンスだ。この事件は、単なる性犯罪である以上に安倍政権の腐敗にも関わるケースとして、“反安倍派”の注目を集めたが、一方で月刊『Hanada』の常連執筆者を中心に、安倍応援団の中核を占める右翼的な面々は、執拗な中傷・バッシングを伊藤さんに浴びせ続けてきた。で、そういった顔ぶれは週刊新潮の執筆者ともかなり重なり合う。


 にもかかわらず、この件に限って新潮は、山口氏や政権を追及する先頭に立ってきた。「是々非々」と言えば聞こえはいいのだが、実際には、編集部のごく一部に異端児がいて、そのイレギュラーな頑張りが表れたのだろう。編集長や会社にしてみれば、注目され、部数にさえつながれば、結果オーライで“良い記事”になる。ちゃっかりした“商業誌”ならではの柔軟さが、今回は硬派な成果につながったように思えるのだ。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。