『エッシャー 視覚の魔術師』(2018年/オランダ/84分)。監督:ロビン・ルッツ。2020年1月20日(月)東京・渋谷「アップリンク渋谷」


(本作のパンフレットから。以下、3枚目まで同じ)


マウリッツ・コルネリス・エッシャー(1898~1972)は、オランダの画家・版画家。思わず惹き込まれる独特の作風で、一群の作品は「だまし絵」とも呼ばれ、根強いファンが少なくない。映画はエッシャーの作品とその背景について時系列的に紹介。自身が振り返るモノローグ調の手法で展開し、2人の子息や関係者のコメントを織り込みながら進んでいく。



1924年に旅行先のイタリアで出会った女性と結婚。しばらくイタリアに滞在し、有名なトスカーナ地方を中心に傑作といわれる多くの風景画を制作したが、「私がファシスト党の少年組織に加わったことを危惧して」(長男ジョージの証言)、一家はスイスに移住する。エッシャー自身は雪景色が嫌いで仕方なかったが、その環境が却って自身の内面を掘り下げる時間にあてることができたのだった。そして海を描きたいと考えるようになり、スペイン航路を運航している船舶会社と交渉することを計画。まだ無名の画家にすぎなかったが、乗船代金を無料にする代わりに広告宣伝用の船旅絵画を提供することになる。そして、航海中に訪れたスペイン・グラナダのアルハンブラ宮殿で運命的な出会いをする。イスラム絵画独特の幾何学模様を見て,天啓とも言うべきインスピレーションを受け、独自の作風を確立していく端緒を開いた。


エッシャーが名声を得たのは1951年。国際的に著名な雑誌『タイム』『ライフ』に相次いで紹介された。長男によるとエッシャーは当時、「取材後は謝礼をもらうのだが」と水を向けると記者は「謝礼は払えませんが、掲載後はたくさんお金が入ってくるでしょう」と話した。雑誌が発行されるとその後は、記者の予言どおり収入が急増した。それまでは親の遺産を切り崩して生活してきたのだった。



映画では時系列に多くの絵画を見せてくれる一方、独特の「敷き詰め」技法による表現を舞台で再現する。踊り手は魚や鳥の恰好をして舞うのだが、この場面は正直なところ興醒めする。しかし、総じてエッシャー好きには再認識するいい機会であり、初めて知る人には驚きの連続である。それらをただ眺めているだけでも楽しいし、エッシャーになりきって語るナレーションも少し芝居がかっているが、聞きものである。


例えば、上の作品は夫婦を描いたものだが、当初は1本の布切れに夫人を描く構成だった。エッシャーは布の「切れ端」の部分が目立つのが気になっていた。すると息子から、自身を描いてそれを結んでみたらとの提案を受けて完成した。夫人は後年、精神的に病んでいたとも言われる。布切れが「ある長さ」で切れるのは、寿命の終わりを予感させて忌み嫌ったのか。その苦悩がこの絵に投影されているように思える。


エッシャーは、錯覚を起こさせる作品をいくつも書いたが、決して奇想天外を狙ったものではなく、理由があってできたものばかりである。また、エッシャーは多作家ではなかった。晩年は体調不良もあり、もっぱら既存の版画を印刷することに多くの時間を割いたという。


エッシャーの作品を眺めていると、ヒッチコックの映画『白い恐怖』(1951年公開)を思い出す。白地に縞のある模様を見ると発作を起こすエドワーズ博士(グレゴリー・ペック)の深層心理を描く夢のシーンを、シュールレアリズム画家サルバトール・ダリ(1904~1989)が構成を担当した。エッシャーの作品が「ダリ」の描く超現実世界と似ている感じがした。ダリは異様でグロテスクなところが魅力だが、エッシャーはダリを少し上品にして写実性を高めた違いがある。


(オンラインミュージアム『MUSEY』より 『通りの神秘と憂愁』)


『白い恐怖』でさらに言えば、そのなかで確かに見たと記憶していた1枚の絵がある。しかし調べていくうちに、それはダリではなくて、ジョルジョ・デ・キリコ(1888~1978)の『通りの神秘と憂愁』という絵だった。『白い恐怖』では、顔にストッキングを被った大柄の男が、ひん曲がった車輪を片手に抱えている絵が出てくる。それとキリコのこの絵と混同していたのだった。キリコもダリもエッシャーと同時代を生きた画家で、エッシャーが多くの風景画を描いたイタリアはキリコの母国。ダリはエッシャーの作風を決定づけたスペインが生んだ大画家である。見る者にインパクトを与えるこの3人の絵画の印象が交錯するのは、縁なしと言えない。



ところで、初めて訪れたアップリンク渋谷。渋谷駅から徒歩8分。50席前後の上映スペースが3室あり、座席は寝転がるスタイルも含めて数種類用意されているので、ゆったり座れる。腰痛が怖い人にとっては寝そべるほどの傾斜ではない座席も欲しいところだが、真の映画好きだけが集まりそうな雰囲気なのが嬉しい。


『エッシャー 視覚の魔術師』は昨年12月から順次、全国各地の比較的小規模の映画館で上映されている。予告編もインターネット上で流されているので、それを参考にするのもいいだろう。エッシャーワールドは、「敷き詰め」「正則分割」といった技法・手法によって語られることが多い。小難しく考えて見ても構わないし、予備知識なしで見ても十分楽しい。84分と程よい時間も嬉しい。(頓知頓才)